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甲子園の土を持って帰る風習はいつから?その後はどうする?

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甲子園と言えば夏の風物詩ですね。

甲子園は高校球児全員が優勝をめざし、勝ち抜いてきた者だけが行くことが出来る場所です。

負けたチームの選手が甲子園の土を持ち帰る姿も見られますね。甲子園の土を持って帰るようになったのはいつからでしょうか。甲子園の土は持ち帰った後、どうなっているのか気になりませんか?

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目次

甲子園大会とは?

春に行われる選抜高等学校野球大会と夏に行われる全国高等学校野球選手権大会の2大会が「甲子園大会」や「甲子園」と呼ばれています。

夏の甲子園は4,000校ある中から各府県1校ずつ、北海道は南北海道・北北海道の2校、東京都は東東京・西東京の2校の合計49校によるトーナメント大会です。
毎年8月に行われていて開催されると甲子園の話題で盛り上がりますよね。日頃は野球に興味がなくても出身高校や、出身県の選手を応援してしまう独特の雰囲気がありますね。

地方予選は北海道と沖縄が6月から始まります。その後は順に段階を追って残りの大会が開催され、7月の下旬にはすべての出場校が決定されます。

甲子園の土を持ち帰る風習はいつから?

各地から勝ち抜いてきた学校が甲子園で戦いその結果、勝者と敗者にわかれてしまいます。
勝者は次の試合に向かい、敗者は甲子園の土を持ち帰っています。その姿はテレビで放映されることもありますね。

この風習はいつから定着したのでしょう?
これが始まりではないか、と言われているのは以下の3つです。

1937年の第23回大会で、決勝戦で敗れて準優勝に終わった熊本工業の投手だった川上哲治選手がユニフォームのポケットに入れて持ち帰った。

1946年の第28回大会では、準決勝にて敗れた東京高等師範附属中(現・筑波大学附属中学校・高等学校)の佐々木迪夫監督が、最上級生以外の選手達に各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰らせた(米軍接収中の甲子園ではなく阪急西宮球場)

1949年の第31回大会で、準々決勝で敗れた小倉北のエース福嶋一雄選手が無意識に足元の土を摘んでズボンの後ろポケットに入れた。

阪神甲子園球場のサイトでは初めて土を持って帰った人として川上哲治選手(1937年、夏の23回大会)の説があると記されていたので、この説が有力候補ですね。

敗れた学校の選手が甲子園の土を持ち帰る事が多いのですが、来年も甲子園に必ず来るという誓いを込め、敢えて持ち帰らない場合もあります。これは学校や学年によっても違いがあるかもしれませんね。

優勝した学校はどうするのでしょう?
決勝戦に出場した学校は表彰式など全て終了した後に持ち帰っています。やっぱり勝っても思い出に欲しいですよね。

持ち帰った土はどうなる?

甲子園の土は黒土と砂で作られています。黒土は岡山、三重県、大分県、鳥取県の土をブレンド、砂は甲子園浜や瀬戸内海、中国福建省の砂が使われています。

夏はボールが見やすいように黒土が多くブレンドされています。

この甲子園の土を持ち帰った人はその後どうしているのでしょうか?

これもいくつかのパターンがありました。

  • 自分の学校のグランドにまく。
  • 自分の思い出として保管する。
  • 知人友人などに分けてあげる。

学校のグランドにまくのはいつも甲子園に出場している気持ちで練習するためでしょうか?

ちなみに小倉北のエース福嶋一雄選手は、持ち帰った土を植木鉢に入れました。

私も持ち替えることが出来たなら、植木鉢に入れて甲子園記念樹として何か育ててみたいです。甲子園の土なら強い木に育ってくれそうですよね。

自分が高校生活で野球に打込み、甲子園まで行けた記念なのでどんな形にしろ大切にしたいですね。

まとめ

途中戦争などで途切れた期間はあるのでしょうが、甲子園の土を持ち帰る風習は80年近くも続いているんですね。

暑い夏、高校球児が甲子園でこれまでの練習の成果を発揮する姿は、私たちにも力を与えてくれる気がします。地元の高校に限らず応援したいですね。

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